平成15年度 行政書士試験問題 6

法令択一 記述式 41〜50 51〜60

正解例

※ 出題当時以後の法令等の改正には対応していません。

一般教養

問題41 次の下線部の漢字表記で誤っているものはいくつあるか。
○ これからの日本語は、国民の社会生活において、だれが、だれに対しても、互いに心やすく話し合い、また自由・活発に意見を述べ合うことのできる、平明簡疎なことばでありたい。
○ これからの日本語は、今日、広い意味での文学(新聞・教科書・放送などを含む。)に用いられていることばづかいをもとにして、それに不断の洗練を加え、これまでの伝統の上に立って、しかも新しい時代の歩みに伴う新しい要素を注意深く取り入れながら、漸進的に、よい日本語の理想を実現していきたい。
○ これからの日本語をよくするためには、話しことばと書きことばとの二面にわたる技術的改善と並行して、ことばの主体たる国民の心の中に、論理性と真美性ならびに相互に基本的人格を尊重し合う心を深めていきたい。
○ わたしたちは、ことばを前代から受け継ぎ、これを次代に伝えていく責任の地位にあることを深く自覚して、日常の生活(特にこどもの前)で、悪いことばを使わないようにめたい。(国語審議会 標準語部会報告「標準語のために」、昭和29年3月、を加工して出題)

1 一つ
2 二つ
3 四つ
4 六つ
5 七つ


問題42 ア〜オのうち、次の文章でいう意味の「非言語によるコミュニケーション」にあたるものを組み合わせたのは、1から5のうちどれか。

  コミュニケーションとは「発信者と受信者の間の意図的な情報の受け渡し」であるとしたとき、そこには言語によるものと非言語によるものがあり、日常的にはこの両者を使いながらコミュニケーションがおこなわれている。特に親しいものの間では、非言語の部分の比重がかなり高いといわれている。

ア 赤ちゃんが、母乳を飲んだ後で満足して寝ているときにみせる笑顔
イ 日頃の親密な関係により理解できる言外の微妙なニュアンス
ウ 出来事に対して、笑いを共有したことで、お互いの類似性に気付く
エ 職場の同僚へ話しかけるときのイントネーションや響き、強弱など
オ 携帯電話、インターネットでのメールによるメッセージの交換

1 ア・イ
2 イ・ウ
3 イ・エ
4 ウ・エ
5 ウ・オ


問題43 次の文章の主旨と合うものは1から5のうちどれか。

  本来、自然とは非常に多数の種が複雑な関係をもって共存しているものである。それが、たった一つの種にすぎないヒトによって大幅にかき乱され、生態系の構成が世界各地で極端に単純化しつつある。特に熱帯多雨林には、膨大な種類の多様な生物が生存してきたが、今日その実態をほとんど知られることもなく、各地で森林まるごとが絶滅するようなこともおこっている。個々の生物種はどれも長い歴史の進化を背負った存在であり、ひとたび絶滅してしまったら決して蘇ることはない。それゆえ、わたしたちは子孫のためにも自然を保護する必要があるのだろうし、もうこれ以上生物を絶滅に追い込んではならないだろう。
  ところで、私は自然保護の原点は、ありのままの自然の中身をより多く知る努力をすること、そして、その中から科学的論理を引き出すことであると思っている。未知のものを解明しようと努力することで、そのものの大事さがわかってくると思うからである。かわいそうだから、惜しいから、きれいだから、懐かしいから、かわいいからといったような感情から発した運動も大いに自然保護の効力を発揮しよう。しかし、そのような感情に立脚する論は、ときに他者を説得する力強さに欠ける場合がある。野外の自然のなんたるかを、現場に踏み込んで探求する努力があってこそ、他者を説得する論理が出てくることであろう。自然保護を考えずに無神経に開発を進めるような人々に対しては、こうした実地研究を踏まえた科学的な論理こそが、有効な反駁の武器となるのではないだろうか。
           (出典 松本忠夫「生体と環境」)

1 人間の持つ力により、自然の生態系の構成は単純化されている。その単純化している現在の自然は管理がしやすいから、この方向で自然は保護すべきである。
2 実地踏査をもとにした科学的論理は、開発に反論する大事な実践である。そのとき自然が単純な生態系であれば、科学的な論理を導きやすい。
3 生物の各種は、長い進化の歴史を背負い、現在は相互の関係のなかで安定している。しかし、人間はその構造を変える文化的発展を挙げているのだから、その力を持っていることを十分に利用し、自然保護をしっかりと考えるべきである。
4 自然保護の最も重要な動機付けとして、人間の内面に関わる働きを挙げることができる。自然を保護することはこれを慈しむ心を持つことであり、人間的感情生活を豊かにすることにつながっている。
5 人間は、自然の生態系のなかで、他の種との複雑な関係を保ちながら今日まで存在してきた。そうした自然のあり方を直接認識しようとする努力の結果として得られた科学的論理こそが、開発に対する感情的な反対論を有力に補強し得る。


問題44 ア〜キの文は、一連の文章をバラバラにしたものである。正しい順序にしたとき、3番目と6番目になる文の組合せはどれか。

ア そのとき重要なことは、実験や測定の条件を変えることにより、必要な情報を取得できることである。
イ そこで、天体現象を理解するのに十分な情報を集めるには、何をどのように測定するかが大きな問題となる。
ウ 地上の物質や現象を調べる場合には、その物質や現象を直接に測定したり、現象を実験的に再現することによって、対象とする物質や問題となる現象から定量的なデータを取得することができる。
エ そこで、観測はもっぱら可視光線で行われ、「目に見える」宇宙のデータが蓄積され、「見える」宇宙が理解されてきた。
オ ところが、天体を対象とするときは、一方的に伝達される情報を受動的に測定するしかない。
カ 歴史的にそうした制約が少なかったのが、可視光線で観測をすることであった。
キ 天体の発するすべての情報を集められると申し分ないわけだが、現実には、観測や測定の技術的な制約から限られた情報しか集められないことが多い。
            (出典 江里口良治「宇宙の科学」より)

  3番目・6番目
1 イ   オ
2 カ   エ
3 ア   キ
4 キ   ウ
5 オ   カ


問題45 次の文章の主旨と合わないものは、ア〜オのうちいくつあるか。

  言葉と実態のズレは、いつの時代にも生じている。言葉がひとたび生まれると、その時点において、意味が確定する。いや、ある実体に対して一定の意味が確定されるために、その実体に言葉がかぶせられるわけだ。だが、その実体は時とともに変化し、つねに流動する。そこで、ある時間が経過すると、言葉が実体から置き去りにされることになる。言葉と実体がズレるのだ。
  ただ、「現在」について指摘できるのは、こういった時のもたらす普遍現象としての言葉のズレばかりではない。それだけなら、「現在」にあまりに多くの「死語」が生じている原因を説明できない。
  たとえば、現代になお使われている言葉、「故郷」(それに類する「帰郷」、「望郷」、「郷愁」)、「村」(それに類する「共同体」、「田舎」、「地方」)、「母」、「大衆」、「革命」、「転向」……など。それらの言葉は、ほとんど“根”を失っている。近代人が「故郷」としての「共同体」から「根こぎ」にされ、帰りたいけれど帰るところがない故郷喪失者だったとすれば、そういった<近代日本>の歴史過程で意味を確定された言葉も、いまや「根こぎ」されている。
  とすれば、それはいずれ「死語」と化すしかない。もちろん、「死語」となっても、言葉それじたいは残っている。たとえば、わたしはさきほど、日本の近代化と戦後の民主主義化、そうして、一九六四年以後の高度成長によって一貫して追求された物質的な幸福と社会的な平等が、現在の「大衆社会」をつくった、と指摘した。しかし、そこで使われている「大衆」と、そういった物質的な幸福と社会的な平等とを追い求める、いわばそれらの<欠如>のエトス(生活的な感情)によって日本の近代化を支えた「大衆」とは、微妙にちがう存在なのではないか。
  日本の近代化を支えた「大衆」は、みずから農業を中心とする「故郷」を捨て、「村」に老いた「母」を残して、都会の工場に働きに出(学校に入学し)た。そのことによって、“根”としてあるべき「故郷」を哀しく低く心中に歌いつづけなければならなかった。これが、“望郷”の歌としての演歌になるわけだ。近代日本の「大衆」はその“望郷”の歌を心中に低く歌うことによって<欠如>の状態に耐え抜いたのである。その意味で、啄木の三行詩と演歌とは抒情的に見て連続しているわけだ。
  それはともかく、物質的な幸福と社会的な平等とが満たされたこんにちの「大衆社会」にあっては、その「大衆」を動かしているものは、すでに<欠如>の状態のエトスではない。むしろ<過剰>の状態のエトスである。かつては、<欠如>の状態に「耐乏」し、そこから抜け出すために「一所懸命」「努力」することが、近代日本の社会を支えるエトスだった。これに対して、いまや、<過剰>の状態に「それなりに」、「満足」する事が、「大衆社会」のエトスになったのである。こういった異なったエトスをもっている存在を、ともに「大衆」という言葉で呼びつづけることができるのだろうか。
              (出典 松本健一「言葉の『現在』」より)

ア すべての言葉は、実体が時とともに変化することによって、死語になることから免れることはできない。
イ 「故郷」「村」「母」などの言葉は、<近代日本>の歴史過程の中で実体に対応していたが、近代人が「共同体」から離れたことで「死語」となるしかない。
ウ 「死語」とは、言葉としては存在しているが、その言葉が「現在」の社会の中では対応する実体を失っている言葉であって、使う必要がないものである。
エ <近代日本>の歴史過程の中で近代化を支えた「大衆」は、抒情的な意識を持つことで、「故郷」を離れ都会に出てくることができた。
オ 「大衆」という言葉は、過去における<欠如>と現在における<過剰>という生活感情の変化はあるものの、共に同じ「大衆」という言葉で表現できる。

1 一つ
2 二つ
3 三つ
4 四つ
5 五つ


問題46 次の文章に「いささか逆説的に聞こえるかもしれないが」(下線部)という表現があるが、筆者がそのように言う理由として最も適当なものは、1から5のうちどれか。

  「記号」ということばで、私たちはふつうどのようなものを連想するであろうか。一方通行や進入禁止を表す道路標識、プラスやマイナスを表す数学の記号、学校とか山とかの所在を示す地図の標識━━人によって差はあれ、こういったものが平均的なところであろう。もし受験生であったら、「解答は所定の欄に記号で記入せよ」といったような使い方を思い浮かべるかもしれない。選択肢として挙げられている(イ)とか(ロ)、あるいは(a)とか(b)━━それが「記号」である。
  このような例に代表される「記号」のイメージは、どう見てもあまり良いものではない。つまるところ、「記号」は何かの代用をしているにすぎないという意識があるからである。本当の意味で重要なのはその何かの方であって、「記号」はその何かをまともに持ち出す代わりに、それと一対一に対応させられたものが便宜上使われているだけだ、というわけである。(試験で「論述」式の方が「記号」式よりも十分な評価ができるという発想も、こういうことと無関係ではない。)
  現代の記号論で「記号」と言う場合は、実はこの種の記号とはほとんど関係ない。この種の記号は、たぶん「記号」というよりはむしろ(あるいは「記号」の中でも)「符号」とでも呼んだ方がよいようなものである。つまり、すでに正確に規定された内容が了承されていて、ただそれをそのまま持ち出す代わりに、もっと扱いやすくてそれと一対一に対応すると了承されているものが使われているというだけのことである。いわば、本当は何かがあるという目印として、同じ場所に便宜上おかれているおはじきみたいなものと言っても良いであろう。例えば、「文化を記号として捉える」というようなことを言うことがあるが、これはもちろん、文化の諸相をこのような意味での(つまり、「符号」と呼んだ方が良いような)「記号」でもって転写してみようというようなことではない。
  現代の記号論で「記号」ということが考えられる場合は、いささか逆説的に聞こえるかもしれないが、むしろ、この種の「符号」と呼ぶのがふさわしいと思われる「記号」を超えていくような営みに、何よりもまず第一に関心が寄せられるのである。
          (出典 池上嘉彦「『ことば』再発見」)

1 「記号」は、それに一対一に対応する内容の便宜的な置き換えであるが、その代用という見方を「符号」として否定することが「逆説的」であるから。
2 「文化を記号として捉える」といいながら、文化には多くの在り方(諸相)があるにもかかわらず、それを「記号」と考えないことが、「逆説的」であるから。
3 「記号」は「正確に規定された内容」を簡潔に表現できる機能を持つにもかかわらず、その働きが無視されていることが「逆説的」であるから。
4 「記号」は、「内容の了承」があるから成立するのであるが、それを「符号」と置き換えているところが、「逆説的」であるから。
5 「記号」の在り方・意味を考えるのが記号論であると思えるのに、「記号」を超えて行くような営みに関心を寄せている態度が「逆説的」であるから。


問題47 政治資金問題に関する次の記述のうち、妥当なものはどれか。

1 選挙権が制限されていた制限選挙のもとでは、選挙費用が少なくてすんだから、有権者の買収が横行することはなかった。
2 有権者の増大にともなう政治資金の拡大にもかかわらず、選挙運動期間外での有権者とのコミュニケーション活動に充てられる費用は減少傾向にある。
3 第2次世界大戦後まもなく制定された日本の政治資金規正法では、その制定当初、政治資金収支の公開に重点がおかれ、献金額の制限はなかった。
4 日本の政治資金規正法は1975年に抜本的に改正されたが、企業や労働組合などの団体からの政治献金に対する規制はそれ以来改正されていない。
5 政党の活動の健全な発達を促すことを目的として1994年に政党助成法が制定されたため、政治家の政治資金パーティは姿を消すことになった。


  問題48 日本の国際機構加盟に関する次の記述のうち、正しいものはどれか。

1 日本は、1919年に設立された国際労働機関(ILO)の原加盟国であるが、第2次世界大戦後、国連専門機関となったILOに再加盟したのは、連合諸国との講和条約発効(1952年)後のことである。
2 対日講和条約発効をうけて日本はただちに国際連合への加盟申請を行ったが、安全保障理事会での旧ソ連の拒否権によって阻止され、日ソ国交回復共同宣言を経て加盟が承認された。
3 国際司法裁判所に関しては、国連未加盟国も国連総会が定めた一定の条件を受諾することによりその当事国になることができるが、日本の場合は、サンフランシスコでの対日講和会議において当事国となることが認められた。
4 1961年に発足した経済協力開発機構(OECD)の原加盟国は欧州18か国にアメリカとカナダを加えた20か国であったが、アジアから日本が加盟したのは、東京オリンピック開催後数年たってからのことである。
5 日本は、対日講和条約発効後まもなく国際通貨基金(IMF)に加盟したが、その当時は経常取引の為替制限が行われていたため常任理事国には選出されず、いわゆる8条国移行(1964年4月)を待って常任理事国となった。


問題49 次の5つの物件(a〜e)はユネスコの「世界遺産リスト」に登録されている世界遺産である。このうち、欧州連合(European Union)の加盟国に所在するものは、いくつあるか(2003年4月1日現在)。

a オリンピアの遺跡
b バイカル湖
c ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター大寺院と聖マーガレット教会
d ベルン旧市街
e パリのセーヌ河岸

1 一つ
2 二つ
3 三つ
4 四つ
5 五つ


問題50 第三セクターに関する次の記述のうち、妥当なものはどれか。

1 日本でいう第三セクターとは、いわゆる官民共同出資で、株式会社形態のもののみを指し、その歴史は太平洋戦争以前にさかのぼる。
2 第三セクターという言葉が日本政府の公式文書で初めて用いられたのは、1960年代の池田内閣における所得倍増計画の中であった。
3 第三セクターも公共のサービスの供給に従事するのだから、地方自治体が50%以上出資する第三セクターの職員にはすべて地方公務員法が適用される。
4 第三セクターは、もともと公共部門と私的部門が重なり合った部門のことであり、地方自治体が経営する公営企業がその典型例である。
5 公共部門でも私的部門でもない第三の部門を第三セクターとすれば、NPOやNGOをそこに含めてとらえることができる。


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